私のお宝紹介

石井 充

「写真(1945年みずき通り)」

写真の原板は、アメリカ軍のニュース映画。空襲の戦果の報告です。偶然でしようが、NTTの屋上からみずき通りを撮影。

大串 延子

「育児日誌」

現在90歳の長姉が、私の生まれた日から1年間つけてくれた金銭には替えられない私の宝物です。 昭和10年代の世相も見られます。

大野 聖二

「『いちょう祭り』通行手形及び関連グッズ」

大型団地や大学等新しい八王子が出現した高度成長期、新旧市民の交流の場としての「いちょう祭」が有志の提案により昭和54年開催されました。 壮年期の思い出の品々。

岡田 尚

「永仁の壷」

40~50年前、瀬戸の加籐藤九郎作の「永仁の壷」が話題になった頃、加藤う助さんが作った「永仁の壷」です。贋作につき価値はないと思う。

北川 孝

「兜杯争奪戦 優勝時使用のパターと記念写真」

平成9年4月、GMG八王子ゴルフ場での『兜杯』争奪競技会(ABC級各100名参加)で、B級優勝した際使用したパターと優勝記念写真。

塩沢 迪夫

「プロ・アマゴルフコンペの写真」

プロ・アマコンペ前夜祭の尾崎健夫との写真及び奥村ひとみ女子プロとの写真と記事(ゴルフダイジェスト)

渋谷 文雄

「胡桃割り人形」

出張先で小物を買うのが趣味。これは28年前パリーは「蚤の市」の骨董店で求めたもの。 家で銀杏割りに使っています。

下山 邦夫

「手製の年賀状」

30年以上続けている手製木版による年賀状です。 下手糞でも、毎年300枚以上摺るのは結構大変でしたので、努力のみ評価してください。

立川 冨美代

「マヤ遺跡の土人形」

メキシコ・マヤ遣跡、モンテアルバンで買った遣跡から発掘した土人形。 本物なら盗掘で手が後ろに回るかな? それとも偽物?(15年前のこと、小さなピラミッドに上ったら後ろから髭のおっさんが出てきて高値で買わされた。)私の海外旅行のルーツです。

土井 俊玄

「竹製『鳥籠』(うぐいすかご)」

生まれついての動植物愛好の性格は変わらず、20年前ぐらいに買い求めた、鳥籠作りの名人の作です。 一度もこの籠は使わなかった。

野末 孝雄

「日本国有鉄道旅客駅一覧」(自家出版本)

昭和53年、息子が1年有余費やして纏めたもの。友人の印刷屋に本を作らせて呉れといわれ出来上がった。 息子は平成13年白血病で死去しました。

濱野 幸雄

「色紙」(1979年全日本アマ野球代表選手役員のサイン)

キューバ在勤時、全日本ノンプロ野球チームが同国内を転戦。 応援した時に全員のサインを貰いました。後にプロで活躍した選手名もあります。団長山本英一郎、監督川島勝司、投手木田勇、捕手中尾孝義、内野手石毛宏典など。

平原 俊彦

「残しておいた最後の一枚のSPレコード」

このレコードは昭和6年ドイツで制作されたミュージカル映画「会議は踊る」(19世紀初頭のウィーン会議の様子を描いた)の主題歌「唯一度だけ」を収録したもの。  この歌は戦前の若者、特に学生の間でヒット、戦後再上映され私たちも楽しんだものです。

藤野 豊

「33歳のわが肖像」

青年法曹と呼ばれた頃もありました。その肖像をお見せします。 あわせて戦前のわが国の法曹の姿を見る機会が少ないので、参考として展示します。

古川 純香

「両親の記念品」

父の遺作”随想”、医業のかたわら書き綴った作品と嫁ぐ娘にと母からの大切な贈り物の”ネックレス”。この二点を父母の思い出と共に出品します。

宮崎 浩平

「私の閻魔様」

私の町には古くから閻魔様がいらっしゃる。昔は薮入にご開帳があり、多くの人が参詣した。閻魔講復活に因んで、友人より頂戴した閻魔様です。

吉田 信夫

「置賜民衆生活史」

亡き親父の著書の原本です。 自分が高校3年の時の出版で、私の読書の原点であり、上杉鷹山の調査の起点になっている本です。同書は父義信が米沢藩置賜の民衆の生活史を調査研究し纏め、米沢短大でテキストとして使用したもの。

堀口 進

「アンネの日記に匹敵するトランプ」

第2次大戦中のユダヤ人家族にまつわるトランプを、その家族の一員から頂いたものです。

広瀬 智子

「小学校卒業文集『わか竹』」

この文集は担任の先生の手製です。 戦後の物資払い底の中、日曜毎に神田で用紙を集め、手書きし、手刷りし、製本して下さったのです。

西志村 光治

「はりまや橋の坊さん」(高知土産)

独身時代(50年前)、恋人に贈った、たった一つのプレゼント。 私にとつては”宝物”です。なぜ私の手元にあるのでしょう?

鶴田 金通

「『栄光をたたえて』の賞状、額」

文部省主催の全国中学校野球大会が明治神宮球場で開催。 九州代表として出場。この事が私を建築の道へ進む要因となる栄光の賞状です。

梅木 松助

「昭和初期製ハーモニカ」(高級ミヤタ 東海楽器製造)

5歳の時、父に買ってもらった思い出のあるハーモニカで、小学校1年生の学芸会で独奏した愛用のもの。(昭和11年の学芸会)

米林 伸恭

「豆本」(辻邦生 丸谷才一他)

本の美しさ、楽しさを教えてくれた豆本。 昭和47年頃古本市で買い、以降私の本の収集のきっかけとなった記念すべき一冊となりました。

武田 洋一部

「幼時の写真と徴兵保険証券」

満州からの引き揚げ時、母が肌身離さず持ち帰った家族や小生の写真と書類(徽兵保険証券、郵政貯金通帳預り証、他)です。内閣総理大臣名の書状の交付を受けました。

阿部 幸子

「辞令」

昭和23年春、大切な父を亡くし母、私、弟3人が残され、進学を諦めた私は学生服を事務服に。この辞令が社会への第一歩です。

佐々木 研吾

「国土地理院発行『地形図』」

2万5千分の1等の地形図。 足跡を印した山野、都市の地図は全部保存してあり、眺めればその地の景観、風土が彷彿と脳裏に浮かぶ。

矢崎 安弘

「四国お遍路 納経帳」

私の人生最大の旅は四国八十八寺の歩きお遍路である。1400キロを47日要した。
この納経帳はいまや私の大切な宝物である。

山崎 修司

「片方の本立」

高校3年以降、何時も小生の机上にあったもの。高校1年先輩の女性の卒業式の時に、彼女から贈られたもので、一方は彼女の嫁ぎ先? 北海道は苫小牧、彼女からこれを貰った時の情景、雪がしきりに降っていた、を想いだします。後に彼女は牧場主と結婚しました。

阿部 治子

「外国製時計」

祖父が洋行した時の、母への土産です。 母から長女の姉へそして七女の私と時代を越えて未だに「時」を刻んでくれている大切な思い出深い時計です。

橋本 鋼二

「《絹の道》命名と建碑資料」

父義夫は、廃道となった浜街道-鑓水峠越が生糸輸出の歴史を秘めた道であることを検証し、この道を「絹の道」と名づけ、「日本蚕糸業史跡」を示す記念碑を建てる努力をしました。冊子『鑓水商人』(1955年)、『絹の道多摩丘陵名所案内』(1956年)など展示。

浅川 文夫

「野球場の砂」

捨てるに捨てられぬ夏の思い出。都立高校として、最初に出場した全国大会球場です。ユニフォーム姿をみるのは、これが最後だと思いながら、結局予選から全試合応援に駆けつけました。

下田 泰造

「切絵2点」

気力が溢れていた頃の作品。 見所は、切り抜いた方と切り抜かれた方の両方が、切絵になっているところ。今ではとても出来ない。

八木 啓充

「わたしの創った歌(歌集)」

私の子供のためにつくった子守歌。 あの彼女に捧げた歌。 会社で成人を迎える人達に贈った歌。未発表の歌ですが、私の宝です。
①娘のための子守唄「夢の木」作詞水谷まさる、作曲八木啓允
②息子のための子守唄「子守唄」(カエルはコロコロ)作詞作曲八木啓充

荒 正勝

「女性誌に掲載された『アリサ』の写真」

「アラアリサ」です。 美人でしょ! 
昔モデルだったの。 運命って不思議ね。
その前は野良猫だったの。

阿部 和也

「歴代サトちゃんより大きなダニの写真」

・フトツメダニの顕微鏡写真
 刺咬された女子のロッカー内で採取
・サトちゃんの三代歩み揃え
・猿年男を後押する象……中国製

池田 ときえ

「オルゴール」(Gone with the wind)

遠い遠い昔、初恋の人に貰ったオルゴール。大事にしまっていましたが、今では孫のおもちゃです。
思い出は風と共に去りぬ…。
高校の同窓会で話を聞くとオルゴールを貰ったのは私だけでなかったことが判明…。

東山 栄

「邦貨現行コインアルバム」

30年前に収集したコイン集。
壱円から百円まで年号順に122枚あり。オークションに出したらいくらの値段がつくでしょうか。

澤渡 進

「ビアカップ」

最も輝いた頃、大阪は北の新地のクラブに置いた専用のビアカップ。 
栄枯盛衰は世の習、今は美人ママならぬ女房相手に缶ビールで晩酌。

長谷川 貴馴

「大きな昆虫」

10年前マレーシアで購入した標本です。
家族からは「直ちに処分して!」と叫ばれましたが、捨てられずに秘蔵しているものです。

杉山 友一

「ホールインワンカップ」(ゴルフ歴36年 HC12)

訪ねたゴルフ場は160、ラウンド数は1,300回。 ホールインワン・チャレンジ5,200回を超える中で、やっと仕留めたたった一度の幸運のモニュメント。

岡本 宝蔵

「免状・袴・帯」

私の健康の源、吟詠15年の成果(免状)。
合気道10年、先生より頂いた袴と帯です。

多村 繁樹

「明治元勲の写真・大版三国志・その他」

明治の元勲の殆どが納まっている集合写真(本物かどうか?)と全国の古本屋で集めた故横山光輝の大版三国志(漫画本)。 既に絶版となっています。

山元 哲夫

「母の残した書」

亡き母が80歳を過ぎて書き遺した書(3点)を形見にと掛け軸にし、朝夕眺めながら、心和らいでいます。

川村 真

「会報『窓』第1号」

『窓』は「旅を楽しくする会」の会報です。この会は全国の旅好きの仲間に月刊誌『旅』で呼びかけ、昭和30年9月1日に発行したものです。

佐々木 正

「50年以上前の子供の頃の写真」

父のアルバムにあった自分の写真で数少ないもの。 その頃の父母や祖父母の顔も懐しい。